いだいら観音の里に「ある和讃 その(1)つづき2」

このプログは、9月26日(月)のプログからのつづきを書いております。
「行基集団」は、組織でありますので、指示を出す者とそれに従う者に分かれております。
引佐町四方浄にあります「行基」の資料を観ると、道號(ドウゴウ)と隋號(ズイゴウ)と書かれた文字に目が停まります。これは、仏教にかかわる文字で、
道號(ドウゴウ)とは、導く者、隋號(ズイゴウ)とは、従う者と言う意味で有ります。
 ほとんどの地域の川に生息している魚で、
いだいら観音の里に「ある和讃 その(1)つづき2」


底砂の中に潜り、目だけを出して身を隠す
習性がありものを、「スナハミ」「スナホリ」或いは「スナモグリ」と地域により異なりますが、称しております。
 この同じ魚を、引佐町伊平、引佐町井伊谷地域では、「ズイゴ」と称しており、引佐町四方浄地域では、「ドウゴ」又は、「ズイコンボウ」と称しております。「ズイコンボウ」とは、文字に表しますと「隋墾坊」となります。引佐町霧山、引佐町青砥、引佐町四方浄には、「隋墾坊」の墓が、今も残っております。「ズイゴ」とは、、隋號(ズイゴウ)の意味であると思われます。
また「隋墾坊」とは、古代、これらの地域を道號(ドウゴウ)の指示に従い開拓した者達であると思われます。
引佐町四方浄 「行基堂」に在ります「初代道號(ドウゴウ)」
いだいら観音の里に「ある和讃 その(1)つづき2」


と「隋號(ズイゴウ)」の像です。
いだいら観音の里に「ある和讃 その(1)つづき2」


「行基」とは、組織でありますので、初代道號(ドウゴウ)、2代目道號(ドウゴウ)、3代目
道號(ドウゴウ)、4代目道號(ドウゴウ)・・・・と時代と伴に代わられて続いて行ったと思われます。2代目道號(ドウゴウ)は、
中田(現在の四方浄)の地で生まれ、歴史上の「行基」とされた「仲田般若院」であると私は思います。
「仲田般若院」について、引佐町四方浄に伝わる縁起書によりますと「西暦668年に中田の里に聖徳太子の生まれ変わりとして出生し・・・・・」とあります。この時代、仏教は、最先端の学問でした。現在とは異なり、情報伝達手段や交通手段が無い時代、飛鳥の地に腰を据えた仏教は、そんなに早く地方には伝わりません。「何かの理由で飛鳥の民がこの地域に来られた。」とは、考えられないでしょうか!

では、初代道號(ドウゴウ)は、誰か? 

やはり聖徳太子一族に関わる人であると思います。が歴史上では、「日本書紀」では、644年、蘇我入鹿らに、聖徳太子の御子息であります山背大兄王(やましろのおおえのおおじ)とその一族は全て殺されたことになっております。

そして「行基、3代目の道號(ドウゴウ)」は、歴史上、「行基」と同じように全国にその伝説を持つ、弘法大師こと「空海」であると思っております。


「行基が納める仏教の都(パラダイスの地)」がどうして無くなったのか? 次回、この辺からは、創造力を生かして述べたいと思います。

  秋の月夜、皆さんを「いだいら観音の里」長興寺で至福の一時へと誘います!
10月15日(土)18:00開場 18:30開演 入場料¥3,000円
「秋宵 和歌うた」コンサートが「いだいら観音の里」禅寺 長興寺で行われます。
うたひとは、「早苗ネネ」さんです。
詳しくは、9月7日のプログ「コンサートのお知らせ」をご参考にしてください。

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