いだいら観音の里の「井平城の戦い3」

元亀(1570~1573)の元亀一年(1570)~元亀二年(1571)武田信玄率いる軍と徳川家康率いる軍が、ここ井平城で戦いました。しかし、今までは、この戦いの記録は、殆(ほとんど)無く、秘密のベールに覆われておりました。
武田軍は、背後を襲われるかもしれない徳川軍を残して西へ、移動することはありえません。
 何故、三方原の戦いではなく、井平城の戦いなのか?
1、軍勢武田方3万に対し徳川方7000では、曳間城(現 浜松城)や三方原台地で戦うには策が無さ過ぎます。堅固な城で戦う必要があ   ります。
いだいら観音の里の「井平城の戦い3」


2、江戸時代初期に書かれた錦絵「味方原の戦いの」絵図が、直ぐ山の麓(ふもと)で戦った様子を表しております・
いだいら観音の里の「井平城の戦い3」


3、その時に戦った戦士者の霊を弔う「遠州大念仏」の行っている場所は、現在の浜北地区
から伊平地区に点在しております。
                    (遠州大念仏の様子)
いだいら観音の里の「井平城の戦い3」


                  (遠州大念仏が行われている場所)
いだいら観音の里の「井平城の戦い3」


現在の浜北区平口まで昔は伊平村と称したとされております。二俣城を落とした武田軍は天竜川の浅瀬、現在の浜北大橋付近を渡って浜北方面に進んできました。川を渡り終えた敵を迎え撃つのは、兵法の鉄則です。現在の浜北大橋
付近の浜北地域では、必死の攻防の様子が遠州大念仏から窺えます。そして井平城ヘと
向かったと思われます。
井平城には、その側を鳳来寺街道が通り、三遠南信の物流、兵馬の動脈があります。

「いだいら観音の里」観光案内のURLが変更になりました。
http://www.idaira.jp/
です。引き続き、御愛顧お願いいたします。


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