いだいら観音の里の「過去からの予言」

いだいら観音の里の「過去からの予言」
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いだいら観音の里の「過去からの予言」
和讃とは、「古代、この地がどんな、意味のある場所であつたか、またこれからすべき事柄」を今に伝える歌です。
いだいら観音の里にある和讃の中で3番目に取り上げるのは、臨済宗 長興寺にある和讃です。







1788年(江戸時代中期の終わりごろ)、初山 宝林寺の当時の住職、法源禅師が創った
「○長く○興る○寺こそ いずれ優曇華(うどんげ)の○再び○香る○山は 藐姑射(はこや)ぞ
という歌です。
「再香山 長興寺」の名前の由来となった和讃です。
古代、長興寺は、四大陸をも治めることができるような優れた聖王の朝廷であった処であり、いずれ再び現われるであろう
という意味です。
いだいら観音の里の「過去からの予言」



藐姑射(はこや)とは、役所、又は、朝廷のことを指しております。

「古代 この地域に都(パラダイスの地)が存在し、そして政治を司った場所は、現在の長興寺である」と言うことに成ります。そして、その政治の目指したところは、仏教によって誰もかれもが、幸せに暮らすことのできる仏の世界でした。
四大陸をも治めることができるような優れた聖王とは、世界史上類を観ない優れた指導者で、国王としての身分で在りながら、行基という集団を創って仏門に入り、そして民衆の目線に立ち、民衆と共に生きた山背大兄王その人です。「いずれ再び現われるであろう!」とは、過去からの予言です。現在、山背大兄王が再び現れるのを願いつつ、行基資料の鑑定を急いでおります。



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