いだいら観音の里の「井平城復元図と史跡マップ」

伊平自治会とNPO法人「い~ら いだいら」は、国学院大学城郭研究会により作成された縄張り図と井平城の史跡跡から井平城のイラスト風の想像図と史跡マップを作成して旧伊平小学校のグランド前に設置しました。
いだいら観音の里の「井平城復元図と史跡マップ」


この想像図を作成するにあたり、水彩画家の下豊留久寿美様には、多大なるご協力を賜りました。
いだいら観音の里の「井平城復元図と史跡マップ」


井平城は、「元亀の乱」西暦1570年~1572年に徳川家康と武田信玄が戦った際、本陣があった場所です。当時、井平小屋城(井平城)を治めていましたのは、山吉田の鈴木一族で、その家来であると自ら名乗っておりました井平の住人野末甚左衛門(のずえ じんざえもん)。その同じ姓を名乗る野末家に現在までに伝わる一子相伝の黄金伝説「朝日輝く処、夕日照る処黄金が眠る」は、或いは徳川の軍資金が、この小屋山に存在していることを伝えている伝説であると思われるのです。想像を超えた惨敗に、軍資金を持ち出す余裕が無かったと思われます。そして、井平城から岡崎城に逃げる途中に在ります山吉田の満光寺には、命からがら岡崎城へ逃げ落ちる家康の様子を「満光寺 にわとり伝説」が伝えております。
現在の歴史学は、「伝説は、過去の正しい状況を伝えている。」と考えられる様になってまいりました。はたして伊平の野末家に現在まで伝わる「一子相伝の黄金伝説」や山吉田 満光寺に伝わる「満光寺 にわとり伝説」は、過去の正しい歴史状況を伝えているのでしょうか?



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