このプログは、9月26日(月)のプログのつづきを書いております。
私は、650年~700年、飛鳥から奈良へと続く白鳳期に、約半世紀ではありますが、伊平、都田を中心とした都(パラダイスの地)が、存在したと思っております。それは、どんな都なのか?・・・・・・
それは、「行基が治める仏教の都(パラダイスの地)であった」と思っております。
と直ぐに、それは、おかしいと歴史家の皆さんは、言われます。何故ならば歴史上、行基は668年~749年の人であり、民衆の圧倒的な支持を背景に、後に大僧正として当時の天皇、聖武天皇により奈良の大仏(東大寺ほか)建立の実質上の責任者として招聘された方であるからです。
しかし、私は、「行基」とは、人の名前ではなく「ある目的をもった集団」であると思っております。
人を助ける行いをすることを、「利他行」と言います。「行基」の「行」は、「利他行」の「行」、「行基」の「基」は、基(もと)になる人たち、です。
ですから、「行基」とは、「利他行を起こさせる集団」という意味に成ります。
「遠州の行基伝説」などこの周辺の地域には、「行基伝説」は沢山あります。
そして、行基が創ったとされる十一面観音像が置かれております伊平 仏坂 竹馬寺の北側、四方浄という地域には、
「行基が、生まれた」と言う伝説が、今も色濃く残る「行基堂」があります。
では、その「行基集団」の詳細は、そしてどんな活躍をされたか?・・・・
次回、報告させていただきます。