元亀(1570~1573)の元亀一年(1570)~元亀二年(1571)武田信玄率いる軍と徳川家康率いる軍が、ここ井平城で戦いました。しかし、今までは、この戦いの記録は、殆(ほとんど)無く、秘密のベールに覆われておりました。
武田軍は、背後を襲われるかもしれない徳川軍を残して西へ、移動することはありえません。徳川家康は、そんなことは、最初から分かっていたと思います。
歴史家の間では、徳川家康の拠点が曖昧でした。と言いますのは、曳間城(のちの浜松城)では、平坦で守りにくく武田軍3万~4万の兵力に対する徳川軍7000の兵力では、到底勝ち目はありません。しかし周りを見渡してもそれらしい場所が分かりません。
そこで私が注目するのが井平城です。実は井平城は、徳川軍7000の兵力で戦っても持ちこたえることのできる堅固な城であったのでは・・・・・?
1月29日(日)東海古城研究会の松山会長が井平城跡調査に来られます。秘密のベールは、今、剥がされようとしております。