如月(きさらぎ)、除夜・正月から、はや一月(ひとつき)余りが過ぎ、梅見月とも言われる季節になりました。梅は風待草とも呼ばれ、東風(こち)の吹くのを待ち焦がれていた乙女の様な匂いと薄紅を指したような、可憐な花を咲かせます。花見と言えば今では「桜の花」を好みますが、奈良時代より前、古代は、「梅の花」を好んでいたと言われております。
いだいら観音の里の仏坂にある、おみさか参道沿いの「梅の園」は、東風(こち)と戯れている乙女達の姿の様にも思えます。
そしてもう一月(ひとつき)が過ぎると、あたり一面、桜の花が咲き乱れる雅の世界が始まります。
その移りは、好むと好まざるとに関わらず、流されていく百八つの煩悩の如くです。
驕らず、求めず、焦らず、ただ川の流れに身をまかせ、生きていけたら、と 最近そんな風にも思うようになりました。