いだいら観音の里、長興寺には、宝暦4年(1754年)に造立された、宝篋印塔があります。
宝篋印塔とは、滅罪や延命などの利益から、追善(死後に供養すること)・逆修(生前にあらかじめ供養をすませること)の供養塔、墓碑塔として、五輪塔とともに多く造立されました。日本には鎌倉中期以後に造立が盛んになりました。
構造は、最上部の棒状の部分は相輪と呼ばれます。相輪は、頂上に宝珠をのせ、その下に請花(うけばな)、九輪(宝輪)、伏鉢などと呼ばれる部分があります。相輪は宝篋印塔以外にも、宝塔、多宝塔、層塔などにも見られるもので、単なる飾りではなく、釈迦の遺骨を祀る「ストゥーパ」の原型を残した部分であります。相輪の下には笠があり、この笠の四隅には隅飾(すみかざり)と呼ばれる突起があります。笠の下の方形の部分は、塔身(とうしん)、さらにその下の方形部分は基礎と呼ばれます。塔身(とうしん)の部分に菩薩が合掌している姿が見られます。また基礎の部分には、宝篋印陀羅尼経が納められております。
しかし、この寺に誰が宝篋印塔を造立したかは、分かってはおりません。この形の宝篋印塔は、遠州地域内でも珍しいもので、三ヶ日の大福寺、浜松市市野の熊野神社にしか確認できておりません。