和讃とは、「古代、この地がどんな、意味のある場所であつたか、またこれからすべき事柄」を今に伝える歌です。
いだいら観音の里にある和讃の中で最後に取り上げるのは、伊平 松山の地にある和讃です。
1788年(江戸時代中期の終わりごろ)、初山 宝林寺の当時の住職、法源禅師が創った
「
松山の風にうきよの塵もなし きよき音こそ観自在なれ」
と言う歌です。
(
時が過ぎ、人の心がどんなに移りゆくとて、ここ松山では、いつも、どんな状況でも変わらぬ聖なる観音が見守りそして助けてくれる。)
と言う意味に成ります。
人の世は、無常であると言われております。最近の変化激しき時代にあっても、自分を理解してくださる観音様は、ありがたいものです。
松山観音堂の下側にある馬頭観音堂の中には、日本で唯一、「いだいら観音の里」だけに在る、
微笑の馬頭観音像が置かれております。
そして、その馬頭観音像が語る言葉は「
空しく生きて 満ち足りる」であります。
まさに微笑の馬頭観音像が語る幸せへの一言です。