観音の里だより「伊平 林森神社」

「伊平 林森神社」は、男子念願成就の神社としてお祀りされております。何故なら応神大王が祭られているからです。応神大王は、初めてこの国を統一した和国の人で、仏教により国を治めておりました。郷土の歴史家であります池田利喜男さんは、「伊平 林森神社」の前身は、八幡宮であると述べられておりました。
観音の里だより「伊平 林森神社」


私は、本来は熊野神社であるものが、八幡宮へと換えられたと考えております。歴史は常に勝利した者の記録です。歴史家と言われる人の多くは、勝利した者の全ての記録(それしか無いのですが)を歴史として考え、名のある人が記した内容なら疑おうともしません。そこで既に間違えが生じてまいります。真の歴史は、負けた者の記録で、全く別の角度から眺めないと分からないと考えます。
 今から10年ほど前の話に成ります。「伊平 林森神社」の最も奥の屋代から、約30cm程の小さな十一面観音像が発見されました。
観音の里だより「伊平 林森神社」


当時、この出来事を里の識者が考えた結論は、「松山観音堂に安置されていた物が、明治七年(1874年)から始まった神の国の再興、そして排仏毀釈政策(神仏分離令を出し、寺院、仏像、経文などを壊す)は凄まじく、その影響はこの伊平の里にまでおよび、小さな十一面観音像を守る為に「伊平 林森神社」の境内に移した」と言うものでした。
古代の検証(参照 観音の里だより「いだいら観音の里にみる仏教の都の姿」)を終えて私の出した結論は、林森神社は、本来の姿は、仏教により応神大王をお祀りしていた熊野神社であり、本尊は、小さな十一面観音であると考えます。ですから「伊平 林森神社」の奥の屋代に在るのが正しく、そのことは、「伊平 林森神社」が古代からの大変由緒ある神社であることを表しております。



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