
いだいら観音の里には、昔より伊平の野末家に伝わる一子相伝の話があります。一子相伝とは、代々その家を継ぐ子供に歌の様なものにして伝えるものです。その内容とは「朝日輝く処、夕日照る処黄金が眠る」という歌で、朝陽が射し、しかも夕日が射す場所、双方が重なる場所を表します。野末家とは、元亀2年10月22日(新暦12月末日)に井平城で武田軍と徳川軍が、戦った際、当時この地を治めておりました徳川方の武将である、奥三河 山の吉田の地を本拠とし、12歳の若さで家督を継いだ鈴木重好を長としていた鈴木家、当時井平城も治めていた鈴木家の家臣であると自ら名乗っておりました伊平の住人、野末甚左衛門(のずえじんざえもん)の子孫になります。元亀の乱の際、井平城は、徳川軍の本陣であったと私は、考えておりますが、徳川軍は、武田軍の圧倒的な、鉄砲による侵攻により、軍資金を持ち出す余裕など無かったと考えます。徳川家康は、軍資金の隠し場所を信頼する野末甚左衛門(のずえじんざえもん)に教え、いずれ掘り出す予定であったのかもしれません。或いは、武田軍にみすみす軍資金を与える様なことを避けたのかもしれません。すると、この歌は、現実味を帯びてまいりました。ほんとうに徳川の黄金の軍用金は、今も井平城に眠っているかもしれないのです。