いだいら観音の里の「長興寺 行基三代を祀る寺」

いだいら観音の里の長興寺には、利他行の集団である「行基(ぎょうき)」の道號(どうごう)として日本国中に仏教を広める為に特に重要な活躍をされた三代を御祭りしております。
長興寺本殿には、
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利他行の集団「行基(ぎょうき)」を創設し、初代道號(どうごう)である山背大兄王(戒名 古瀧山 龍王院)の化身で有ります聖観音菩薩(せいかんのんぼさつ)が、御祭りされております。
いだいら観音の里の「長興寺 行基三代を祀る寺」


そして、長興寺の裏山のやや高くに菅原道真(すがわらのみちざね)が、祭られております。
いだいら観音の里の「長興寺 行基三代を祀る寺」


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菅原道真(すがわらのみちざね)とは、西暦668年に浜松市北区引佐町四方浄で生まれた山背大兄王の御子息で大和国王である仲田山 般若院(はんにゃいん)の別の名前です。
   =浜松市北区引佐町四方淨 行基堂に安置されている 仲田山 般若院 坐像=
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「行基の都」は、西暦729年、中臣氏(※後に藤原氏と改名)から火攻めによる攻撃を受けて、消滅し、仲田山 般若院は、現在の浜松市北区引佐町伊平の長興寺の南側に位置する小高い丘にある般若院が入った場所と言う意味の般入(はんにょ)と言われる場所に茅葺(かやぶき)屋根の住居にて、ひっそり暮らしておりましたが、
       長興寺の南側に位置する小高い丘にある般入(はんにょ)
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西暦743年、75歳の時、儒教では人心治めることができないと悟った聖武天皇(しょうむてんのう)により奈良の大仏建立の勧請を受けて奈良(那羅)に赴き、奈良(那羅)菅原寺を住居にし、一生涯を終えます。
               奈良 喜光寺(菅原寺)
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ちなみ那羅(なら)とは、儒教の作法の一つ「ト(占)教」のことで、亀の甲羅を火で焼きそのひび割れの状態から、或いは鹿の角を火で焼きそのひび割れの状態等から神にお願いして未来を占い、将来のことを教えてもらう事を言います。この占いをする人々を「邦人(ほうじん)」と呼び日本人のことを指しております。また「和人(わじん)」と言う場合には仏教国の「大和国」の人々を指しております。この儒教と仏教の両方の文化を持つことで、日本人と言う特異な民族が生まれました。儒教の森羅万象全ての事は、人が管理できると言う考えは、医術の進歩、日本刀に見られる様な科学の発展を促しました。戦国時代に鉄砲が種子島に伝来し、直ぐに鉄砲の保有が世界一に成ったことは、既に当時の日本の科学技術が世界有数の国であった事を示しております。また仏教の宇宙の真理である真言(しんごん)、人は幸せに成るためには、無為無欲でなければならないとする教えは、潔癖な心、利他の心を日本人にもたらしました。
菅原道真(すがわらのみちざね)の名前の由来は、菅原寺に住み「法華経(ほけきょう)」の真言(しんごん)を説く「行基(ぎょうき)」の道號(どうごう)と言う内容になります。般若院(はんにゃいん)とは、智慧(ちえ)者という意味で、智慧の神様である天神(てんじん)様の由来なのです。また仲田山 般若院(はんにゃいん)には、「行基(ぎょうき)」の道號(どうごう)で有る故の「行基菩薩(ぎょうきぼさつ)」という別の名前も付けられております。
その後、この「行基の都」は、藤原不比等(ふじわらふひと)の長男である橘氏(藤原 武智麻呂(ふじわら の むちまろ))が治める様になります。、※「遠州渋川 火おどり 詞集」には、この時の橘氏は、文武天皇であると記されております。そのことが事実なら藤原不比等と天武天皇は、同一人物に成ります。
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やがて橘氏は、「行基の都」の有力な豪族の一人であります井平氏の娘を代々妻に迎え、儒教(じゅきょう)の作法の一つである鹿の角を火で焼き、その割れ目の状態から未来を占う為の御座である謂伊神社(いいじんじゃ)の敷地の一角に龍潭寺(りょうたんじ)を建立し、井伊(いい)氏を名乗る様になります。それで神仏習合が、実質的に成り立ったのです。
尚、龍潭寺の意味する内容とは、濁った池に住む龍の寺という意味に成ります。仏道に導く寺であるならば、濁った池では無く、清く澄む池でなければならないのです。

更に「行基(ぎょうき)」三代目の道號(どうごう)である弘法大師(こうぼうだいし)こと空海(くうかい)が御祭りされております。
いだいら観音の里の「長興寺 行基三代を祀る寺」


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若かりし頃空海(くうかい)は、仲田山 般若院(はんにゃいん)亡き後、その才能を見抜いた「行基(ぎょうき)」の隋號(ずいごう)の僧に、菅原寺にて、仏道への修行を施され「行基(ぎょうき)」の道號(どうごう)への道を歩むようになります。

この様に、いだいら観音の里の長興寺は、非常に行基(ぎょうき)に所縁のある御寺なのです。




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