いだいら観音の里の「秋の七草 藤袴(ふじばかま) 万葉への一憩(ひととき)」

いだいら観音の里の秋も中ごろの季節、秋の七草の一つである藤袴(ふじばかま)ですが、竹馬寺近くの山には、咲いております。
藤袴(ふじばかま) は、万葉集では山上憶良(やまのうえおくら)が秋の七草の中に詠みこんだ一首しかありませんが、平安時代になると多く詠(うた)われるようになります。
いだいら観音の里の「秋の七草 藤袴(ふじばかま) 万葉への一憩(ひととき)」


「 秋の野に 咲きたる花を 指折り(およびをり)
      かき数ふれば 七種(ななくさ)の花 」 
                    巻8の1537  山上憶良(既出)
 「 萩の花 尾花 葛花(くずはな) なでしこの花
     おみなえし また 藤袴(ふじばかま) 朝顔の花 」 
                 巻8の1538 旋頭歌 山上憶良(既出)
二首で一組になっており、朝顔は現在の桔梗(ききょう)とされています。
『「指折り(およびをり)」は子供に呼びかける俗称で、
 「また」は指を折り数えていて5本の指になったところで
別の手に変えて数える動作 』(伊藤博)とされています。
「萩の花 尾花(おばな ※ススキの別名) 三つに葛(くず)の花 四つなでしこの花 うんさよう(どうですか!)
   五つにおみなえし。ほら それにまだあるぞ 六つ藤袴 七つ朝顔の花
   うんさよう(どうですか!)、これが秋の7種の花なのさ 」 西暦730年の秋、筑紫の国守であった作者は地方を巡行中、野に遊ぶ子供を見かけ百花繚乱(ひゃっかりょうらん ※いろいろな種類の花が咲き乱れる様子)の花の名を教えたくなったのでしょうか。
いだいら観音の里の「秋の七草 藤袴(ふじばかま) 万葉への一憩(ひととき)」


  「 香は古く 花は新し 藤袴」   素檗
平安時代になると「香り」が教養人の素養とされたため文芸に多く登場し、
源氏物語にも藤袴を「蘭(らに)」とよんでいたことが示されています。 
 「 なに人か 来てぬぎかけし藤袴来る秋ごとに 野辺を にほはす 」  古今和歌集 藤原敏行
( いったいどんな人がやってきて脱いでかけておいたのだろう。
  藤袴は来る秋ごとに野辺によい香りを発しているよ。)
袴に香を焚き込めていた女性が芳しい香りを残して通り過ぎて行った。
それは、一面に咲く藤袴が香りを漂わせているようだ。
「匂い」を詠った珍しい一首です。
なお、平安時代の女性の野袴は「張袴」といい、モンペのような形だったそうです。
「 秋風に ほころびぬらし藤袴
      つづりさせてふ きりぎりす鳴く 」 
                古今和歌集 在原棟梁(むねやな)
( 秋風に吹かれて藤袴がほころびたらしい。
 「ツズリサセ ツズリサセ」 
 蟋蟀(コオロギ)が「袴のほころびをなおしなさい」と鳴いているよ )
平安時代、蟋蟀をキリギリスと呼び、キリギリスをコオロギと呼んでいました。
この歌は秋の七草である藤袴と衣類の袴、さらに、コオロギの鳴き声と
つづり刺せ(繕う)を掛けています。
ともあれ地味で目立たない藤袴はこの歌のお蔭で1300年を経過した今でも決して
忘れ去られることがない植物になりました。
古代、関東以西のどの地でも野性の状態で見られた藤袴。
今や絶滅の危機に瀕し植物園に行かなければお目にかかることが出来ない
幻の花になりつつあります。しかしいだいら観音の里では、今も里のいたるところで
観ることができます。



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