観音の里だより「過去からの言葉 その2」

和讃とは、「古代、この地がどんな、意味のある場所であつたか、またこれからすべき事柄」を今に伝える歌、過去からの言葉です。
いだいら観音の里にある和讃の中で二番目に取り上げるのは、仏坂 竹馬寺にある和讃です。
観音の里だより「過去からの言葉 その2」


1788年(江戸時代中期の終わりごろ)、初山 宝林寺の当時の住職、法源禅師が創ったもので「重くとも嵩かく登や仏坂 四方浄土を目の前に見て 
観音の里だより「過去からの言葉 その2」


という歌です。
もう直ぐ幸せの処が出現する。出現させることは大変な事だが、気高き心を持って仏坂十一面観音の様(仏教により人々が助け合って和を成す世界)に それを出現させろ 
つまり、「仏教により人々が幸せに暮らす社会を創れ!」と言う意味が込められております。
観音の里だより「過去からの言葉 その2」


西暦650年~700年の約半世紀ですが、ここ伊平を中心とする行基の都が、存在致しました。
それを裏付ける証拠の一つに、伊平より南に位置する「都田(みやこだ)」という町の存在があります。この名前の由来は、「古代この地域を都(みやこ)にしようとしたが、ならなかった。」ことに起因している。と代々、そして現在まで伝承されております。
その都は、仏教によって誰もかれもが、幸せに暮らすことができる仏の世界を目指すものでした。
私達は、今まさに、過去からの言葉に耳を傾けねばならない時かもしれません。



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