観音の里だより「行基の都その4 大和国王 山背大兄王(戒名 古瀧山 龍王院)の墓」

遠州渋川の大代(おおじろ)の寺平(てらだいら)の氏神を祀る屋代の直ぐ裏側にある畑の中に高さ43㎝の供養塔があります。地元では、「院主(いんしゅ)の墓」として伝承されておりました。供養塔には、「真言大法印大菩薩」と刻まれております。この小さな、とても小さな、供養塔の在る場所が「大和国王 山背大兄王」の墓です。嘗ては大きな寺院が、在ったとされますが、今は影も形もありません。
                        遠州渋川 大代(おおじろ)
観音の里だより「行基の都その4 大和国王 山背大兄王(戒名 古瀧山 龍王院)の墓」


                      遠州渋川 大代の寺平にある仏塔
観音の里だより「行基の都その4 大和国王 山背大兄王(戒名 古瀧山 龍王院)の墓」


                              院主の墓
観音の里だより「行基の都その4 大和国王 山背大兄王(戒名 古瀧山 龍王院)の墓」


院主とは龍王院、即ち釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)であることを示しております。釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)とは、娑婆世界で唯一、「法華経」の教えを説く佛で、衆生(しゅうじょう)を極楽浄土へ導く者とされております。ちなみに釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)とは、釈迦如来、御釈迦様(おしゃかさま)のことではありません。
遥か昔に、大通智勝如来(だいつうちしょうにょらい)と言う佛が居られ、その佛の未だ出家されていない時の16人の御子の一人で、その後、沙弥となり「法華経」を授受、通利(つうり)し、娑婆世界の地にて、その教えを説く佛を言います。又16人の御子の一人で、西方世界の地にて「法華経」の教えを説く佛を阿弥陀仏と言います。
なかなか会うことは難しい佛ですが、優曇華(うどんげ)の時(約3,000年)を経て、濁世(じょくせ)に現れ、阿修羅道、畜生道、餓鬼道、そして地獄道へ堕ちた者達に「法華経」の教えを説き浄土へ導きます。
「真言大法印大菩薩」の真言(しんごん)とは、この宇宙の真理(法)や隠された秘密を明らかにする「法華経」のことを言います。また大法印とは、大和尚位(やまとしょうい)のことです。大和尚位をだいおしょういと読むのは、間違えです。大法印とは、「法華経」によれば、「法等経(ほうどうきょう)より生じ、涅槃海に印す。」とあります。つまり仏教により誰も彼もが、同じように等しく、阿修羅道、畜生道、餓鬼道、そして地獄道へ堕ちた者達も、皆、平等に幸せに成るように、涅槃に導くことを誓う。という事になります。大和国王の聖徳太子は、「法華経」の教えに随う事により衆生を幸せへと導く様、仏教による政治を行いました。その御子息の山背大兄王も、又その御子息の般若院も、その大願を成就するため国を治めてきました。故に大和尚位(やまとしょうい)を現すのです。大菩薩とは大乗の教えにより利他行を行い、衆生(しゅうじょう)を浄土へと導いた人を言います。
つまり「真言大法印大菩薩」とは、宇宙の真理が書かれている「法華経」の教えを説き、その大乗の教えに従って、衆生(しゅうじょう)を浄土へと導いた大和国王と言う意味なのです。

そして再び、山背大兄王が、斑鳩の里から移り住んで間もない頃、都を造る為の御所とした、いだいら観音の里、長興寺にある江戸時代の禅僧、法源禅師(ほうげんぜんし)が詠まれたとされる和讃に戻ります。
                         長興寺
観音の里だより「行基の都その4 大和国王 山背大兄王(戒名 古瀧山 龍王院)の墓」


                       法源禅師の和讃
観音の里だより「行基の都その4 大和国王 山背大兄王(戒名 古瀧山 龍王院)の墓」


「長く興る寺こそ いずれ優曇華(うどんげ)の再び香る山は 藐姑射(はこや)ぞ」
古代、この寺は、聖王が住んでいた御所であり、いずれ濁悪(じょくあく)の世にまた現われるであろう。という意味です。
優曇華(うどんげ)のごとく途轍もない長い年月を経て、聖王は、この世に再び現れました。



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