観音の里だより「道徳心と仏教の心」

道徳とは、私たちの善悪を定める心の拠り所です。私が今まで教えられて来たことは、
「我思う、故に我在り」なのです。しかし幾ら考えても、私の心は、猿猴(えんこう)の如く惑い続けなければならないのです。そろそろ初老に差し掛かり、思う事は、「人が一生の内に考えることは、たかが知れている。」と言うことです。それぞれが考えた道徳を基準にしている様では、それぞれが正しく、世の中、何が何だか良く分からなくなるのは、当然だと思われるのです。「何が道徳なのか」の答えを歴史に求めると、我々の先祖が、古代より現在まで脈々と繋いでいる道徳の心、それは「仏教の心」であることに気が付きました。

聖徳太子の御子息であります山背大兄王は、奈良斑鳩の里で政治を行っていた大和国の国王でしたが、西暦642年、政敵との戦いを避け、新たなる新天地を求め東国の屯倉(みやけ)の地、浜松市北区引佐町伊平を中心に仏教の国「行基の都」を創ります。
観音の里だより「道徳心と仏教の心」


西暦600年前後の大和国の国王、聖徳太子は、仏教により国を治める為、「法華経」の中の「般若経」を研究しておりました。
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そして智慧を意味する「般若経」の中の「利他行の教え」を実行に移した形が、山背大兄王が創った「行基」と言われる集団でした。西暦658年、三月二十七日から、「行基 集団」は、諸国の家ごとに仏舎を造り、仏像を刻み経典を置かしむと同時に水田稲作の技術、農作業用の鉄鍬(てつくわ)等の鉄器、堤防や橋などの土木技術を伝えたとされております。
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このように、「行基 集団」によって全国津々浦々まで「仏教の心」が、布施の行いと伴に、広がっていったと考えております。しかし最近、この仏教の心が欠如しているとしか思われない悲惨な事件が多く発生して、善良なる人々の心を苦しめております。



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