観音の里だより「竹取物語と紀州道成寺安珍&清姫の謎を解く」

9月15日は、中秋の名月です。覆っていた雲も晴れ、突然いだいら観音の里に美しい御月様が現れました。
観音の里だより「竹取物語と紀州道成寺安珍&清姫の謎を解く」


万葉の時代の「竹取物語」に出てくる、かぐや姫も、きっとこの様な、お月様からやってきたのでしょう。しかし、この竹取物語は、後世の我々に古代の歴史の真実を伝えようとしております。
観音の里だより「竹取物語と紀州道成寺安珍&清姫の謎を解く」



大化の改新により「和国」から「海人一族」へと歴史が動いた時の状況を述べております。「和国」を比喩する表現はいろいろあります。それぞれに意味がある「熊」「月」「狐」「兎」「姫」等です。そして紀州道成寺の「安珍 清姫」の物語もまた「竹取物語」と同じ内容を伝えております。
竹取物語は、
「今は昔、竹を取り様々な用途に使い暮らしていた竹取りの翁(おきな)とその妻の 嫗(おうな)がいた。・・・」から始まる「竹取物語」は、慎ましくも善良な翁と嫗に、金(光り輝く竹)と三寸(約9㎝)ほどの可愛らしい女の子が、授けられました。 この子が三か月ほどで、清らかで美しいかぐや姫に成長していきます。 男どもは、一目、かぐや姫を見ると求愛してしまいます。そして帝までもが、かぐや姫を思い人にしようとします。翁と嫗もこの良縁を取りまとめようとしますが、十五日の満月の夜、月の都より迎えの使者が現れ、数千人の阻止しようとする者達の前を、簡単に連れ去ってしまいます。」と、こんな内容です。
仏教にて「和」を成す国を目指していた「和国」にあって、孰(いず)れは、婚姻関係を結んでくれると思い込んで「仏教」を信仰している様にしていた「海人一族」は、突然、強制的に成し遂げようとしました。それを避けて「遠い国」へ逃げ出した。という事なのです。
現在でもそうですが、当時、婚姻関係を結ぶという事は、政治的に大変有利な状況を作る事なのです。
さらに紀州道成寺に伝わる物語「安珍 清姫」では、婚姻関係を結ぶことを避けて遠くに逃げだした「和国国王」に対して追いかけて火を掛けた滅ぼした様子を表しております。この遠くに逃げた「和国国王」が聖徳太子御子息の山背大兄王であると思われるのです。そして逃げた場所であると思える遠江国、浜松市北区引佐町には渋川寺野と川名に「火踊(ひおど)り」と称される祭りが古くより(室町時代以前)伝承されており、火攻にあった時の攻防の様子を伝えております。そして、その内容は「安珍 清姫」の物語の内容と一致しているのです。
安珍とは、「仏教を信仰している為、安らかで貴い人」と言う意味です。「珍」とは国王を表します。「清姫」とは、「千手観音をお参りして清らかな心を持っていた筈の人」を表します。
紀州道成寺には、一度は海底に葬り去った千手観音像(清い心)を、海人一族の女(海女)が再び取り戻す様子を表しております。
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しかも逸話では、この女(海女)は、後に天皇の妃に成ったことが述べられております。これで、完全に「和国」から「海人一族」へと政権が移ったということです。



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