観音の里だより「行基の都その8 聖徳太子と蘇我馬子は同一人物」

日本書紀によると大化の改新(たいかのかいしん)とは、飛鳥時代の孝徳天皇2年(大化2年)春正月甲子朔(西暦646年)に発布された改新の詔に基づく政治的改革であり、中大兄皇子(後の天智天皇)や中臣鎌足(後の藤原鎌足)らが蘇我入鹿を暗殺し蘇我蝦夷を自害させ、蘇我氏本宗家を滅ぼしたとされる内容から始まります。
    蘇我入鹿(そがのいるか)が謀殺されたとされる乙巳の変(いっしのへん)
観音の里だより「行基の都その8 聖徳太子と蘇我馬子は同一人物」


天皇の宮を飛鳥から奈良に移し、蘇我氏など飛鳥の豪族を中心とした政治から天皇中心の政治へと移り変わったとされます。
しかし、歴史は常に勝利した者の記録です。勝利者以前の記録を全て消滅して、自分たちの都合の良い記録を創ります。
「日本書紀」や「続日本紀」が創られた歴史書であったならば、一生を掛けて研究されても真実の姿には辿り着けないのです。古代の歴史の真実を紐解くカギは、漢字であると考えます。例えば、利他行の集団は、利他行基と書き、縮めて行基です。誰彼も救われると言う意味の救(ひゃっかさいきゅう)は、縮めて百済(くだら)です。中臣一族の長男であると言う意味の大兄王子は、縮めて中大兄王子(なかのおおえのおうじ)です。大兄とは、兄弟の中で大きいと言う意味で長男を現しております。この様に古代では、目的や名前にその内容を現す漢字を使い、その漢字を或いは縮めて表現しております。
では、蘇我氏の蘇我(そが)とは、何を意味しているのか?と言う事ですが、
祖(そしゅうわがそ)を意味しており、蘇州が祖国であることを表しております。その内容を縮めて表現しております。蘇州とは、中国蘇州を意味し中国 呉国を現しております。この仮説は遠州渋川「ひおんどり」「詞(ことば)章集」の四節の四季の冬・嶽に降る雪の章に記しております内容に基づきます。
                 遠州渋川 火踊り詞集
観音の里だより「行基の都その8 聖徳太子と蘇我馬子は同一人物」


「北は冬の四季なれば~。あの龍王が、蘇我嶽に降る雪、あの雪深き時なればなぁー。がらりと理里有楽や、この珍が合さる子へ」です。この詞(ことば)の内容は、龍王院が、蘇我嶽で亡くなられて暫くすると、中臣一族の龍王院の御子息の般若院に対する態度が、がらりと変わった。と言う意味ですが、この詞の中の蘇我嶽の表現に重要な内容が隠されておりました。それらが分かると、歴史が創り替えられた古文書「日本書紀」の内容が芋蔓式(いもづるしき)に観えてまいります。
蘇我稲目(そがのいなめ)とは、祖水(ごこくわがくにすいとうとうぼく)を縮めて現します。この意味する処は、中国呉国を祖にする一族で水田稲作を持ち込んだ頭領である。と言う内容になります。実際、呉国王の末裔であります朝鮮半島の百済王は、紀元前後に日本に仏教、水田稲作、鉄器の文化を持ち込んできます。初めは現在の熊本市に阿蘇国を築きます。阿蘇の「阿」とは、「初め」を現します。つまり日本における最初の呉国蘇州の地と言う事に成ります。それらを裏付ける資料として熊本市にある神水(くわみず)遺跡や、大江白川遺跡では、紀元前後の朝鮮半島の土器や日本最古の水田の跡地、鉄器が出土しております。(熊本市埋蔵文化課の資料による)
蘇我馬子(そがのうまこ)とは、蘇我戸皇(そが  うまやどのみこ)を縮めて現しております。聖徳太子(しょうとくたいし)の事です。
              法隆寺に在る聖徳太子坐像
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蘇我蝦夷(そがのえみし)とは、蝦夷(えぞ)地に居た人物を現します。古代、行基の都がある遠江(とうとうみ)は、蝦夷(えぞ)地と言われておりました。つまり山背大兄王(やましろのおおえのおう)の事です。
          遠州渋川に残る古瀧山龍王院(山背大兄王)の住居跡
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観音の里だより「行基の都その8 聖徳太子と蘇我馬子は同一人物」


蘇我入鹿(そがのいるか)とは、仲田山般若院(なかだやまはんにゃいん)の事です。
       浜松市北区四方浄 仲田山般若院(行基菩薩)座像
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入鹿(いるか)とは、入京した人物を表しております。入京とは地方から都に入ることです。西暦729年、仲田山般若院が、61歳の時、行基の都、当時、蝦夷地(えぞち)とされる浜松市北区引佐町北区に在った行基の都の消滅後、西暦743年、晩年の75歳の時に聖武天皇から勧請の依頼により、奈良に入り、行基集団により東大寺大仏殿建立を始めました。ちなみに仲田山般若院のことを「日本書紀」は、蘇我入鹿として「続日本紀」には、長屋王として登場させております。長屋王の屋とは、屋根を表しており、人々がのびのびと安穏に暮らせる場所であると言う意味に使われます。つまり長屋王とは、人々がのびのびと安穏に暮らせることのできる大きな場所の王と言う事であり、大和国王を表しております。更に「続日本紀」に登場してくる智慧の神様である「菅原道真(すがわらのみちざね)」も仲田山般若院のことです。仲田山般若院は、聖武天皇から勧請の依頼により、奈良に入りした際、菅原寺を住居としておりました。菅原道真とは、菅原言を縮めたものです。つまり菅原寺に住む真言(法華経)を布教する行基(ぎょき)の道號(どうごう)という意味になります。
         浜松市北区引佐町四方淨に在る仲田山般若院が生まれたとされる行基堂
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           行基(仲田山般若院)が造ったとされる奈良 東大寺大仏殿
観音の里だより「行基の都その8 聖徳太子と蘇我馬子は同一人物」


そして、その都の姿が鹿(しか)なのです。鹿(しか)とは奈良に在る鹿嶋神社(かしまじんじゃ)を示しております。
                  奈良 鹿島神社
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つまり、入京した都は、かつての聖徳太子が建立した飛鳥斑鳩の里の法隆寺ではなくて、中臣・藤原氏が氏神とする「武甕槌神」を祀る奈良鹿嶋神社に成った事を示しております。
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実際に日本書紀には、西暦670年に「法隆寺」は、屋余すとこなく焼失したとあります。
            飛鳥 斑鳩(いかるが)の里に在る法隆寺
観音の里だより「行基の都その8 聖徳太子と蘇我馬子は同一人物」


また古瀧山龍王院が、西暦686年に御亡くなられた直後、西暦690年には、「四天王寺」も焼失したとあります。
                   四天王寺
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この時期、西暦670年~西暦729年に掛けて中臣氏による廃仏毀釈の政策があったと考えます。中臣氏は、儒教による天皇中央集権国家を目指しました。儒教とは、東周春秋時代、魯の孔子によって思想・信仰が体系化されたもので『詩』『書』『礼』『楽』『ト部(ぼくぶ)等の易経』『春秋』といった中国周の書物を六経として儒家の経典とし、中国周国の文王、武王が行った政治を理想としております。
ト部(ぼくぶ)』とは、中臣氏が行っていた、火で焼いた後、動物である亀の甲羅や牛や鹿の肩甲骨に入ったヒビの形から未来を占うものです。『ト部(ぼくぶ)』の中でも亀の甲羅や鹿の肩甲骨で占う方法を特に動物ト部と呼んでおりました。この動を縮めた表現が物部(もののべ)です。ですから物部(もののべ)氏と蘇我(そが)氏との戦いとは、中国燕国からの侵略者と呉国を祖とする百済との日本での戦いと言う事に成ります。

しかし、儒教では阿修羅の如く身内同士の内乱は、治まらず、人心は離れて行ってしまいました。そんな状況の中、再び仏教に活路を求めたと考えます。
そして1100年の時を経て、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)政策を行い、完全に、儒教にてのて中央集権国家が誕生したのは、明治~昭和終戦までの時代でした。

中臣・藤原氏が氏神とする「武甕槌神」の甕槌(かめずち)とは、嘗て使っていた土器を現しております。
紀元前、弥生時代の始め、中国周王朝の武王を祖とし、『動物卜部』にて未来を占い、儒教で国を治めていた中国燕(えん)国は、紀元前300頃から朝鮮半島を治め、紀元前200年頃に日本を侵略し治めるようになります。その燕国の末裔である海人一族の領土であった日本の地が、その後、紀元前後に百済(くだら)国により攻略され仏教国の大和国へ、そして再び海人一族が、治める様になり、八百万の神の世界に戻った事を意味しております。
熊本県熊本市にあります大江白川遺跡では、紀元前200年頃の青銅器が見つかっております。更に紀元前後の朝鮮半島にみられる遺跡と伴に鉄器や日本最古の水田稲作の跡地が見つかっております。
つまり紀元前200年頃に燕国よりの侵略者が青銅器の武器により、日本古来の縄文人を駆逐し、その後、紀元前後に既に朝鮮半島を治めていた百済が鉄器の武器により、この国に侵略したことを証明しているのです。百済は鉄器の他に仏教と水田稲作の文化もこの国にもたらしたと考えております。



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